コラム

[PLAYER’S STORY] 吉田 大河 Taiga Yoshida

J3昇格を目指し、奈良の地で戦う25人の選手たち。
「何故、サッカーなのか」「何故、奈良なのか」選手それぞれの“物語”に迫る。
(ホームゲーム週に更新予定)

#16 吉田 大河

ただひたすらに努力を重ねた幼少期。
大学時代からJFLを経験してきた吉田。
普段は多くを語らない吉田の素顔に迫る−−−−

負けず嫌いだった幼少期
ㅤ兄の影響で6歳からサッカーを始めました。僕は小さい頃から負けず嫌いでした。小学校高学年の頃、同じ学年のチームメートが上級生の試合に出ていたことがすごく悔しかったんです。とにかく周りに負けたくない、そんな気持ちで練習をしていました。

中学ではキャプテンを務める
ㅤ中学校ではキャプテンをしていたんですけど、よくチームのことで監督に怒られていまいた。ピッチ外でもピッチ内でも、何かあればとりあえず僕が(笑)。それでも中学3年の最後の試合で勝てたのは嬉しかったです。その時の監督には人間性を鍛えてもらえたと思っています。

高校サッカー選手権での苦い思い出
ㅤ高校は興國高校へ入学しました。思い出に残っているのは高校最後の選手権です。県予選の準決勝でPK戦までもつれ込んで、自分がPKを外して負けたんですよ。シンプルに悔しかったですね。高校の監督にもよく怒られていましたが、そのおかけでどんなに怒られても折れない心を持ちました。

6月22日(土)掲載分

上り詰めた大学生活
ㅤ慣れ親しんだ関西を離れ、大学は流通経済大学へ入学。関西を離れることに対しての抵抗は特にありませんでしたね。大学1年はドラゴンズに所属していたのですが、その年にの夏に地決(全国地域サッカーチャンピオンズリーグ)で3位になってJFLに昇格しました。
JFLに昇格した2年目JFLファーストステージで優勝、大学の最後の大会、インカレ(全日本大学サッカー選手権大会)で全国優勝もできて、勝っているイメージしかない大学生活でした。

当時の奈良クラブの印象
ㅤ学生時代はJFLのチームに体力面では走り負けない自信がありましたが、技術面では一人一人のレベルが高いと感じていました。その頃の奈良クラブは、サポーターが熱いという印象でした。応援が凄かったことを今でも覚えています。

走りの原動力は気持ち
ㅤ僕は周りの人から、よく走っているというイメージを持たれることが多いんですけど、確かに相当走っていると自分でも思います(笑)。僕は体力のことを考えながらプレーできるタイプではないので、試合中は目の前の相手に絶対負けたくないとワンプレーワンプレー全力でプレーしています。気持ちで走ってますね。

フィールドのダイソン
僕のポジションはボランチというところで、セカンドボールを回収する役割です。相手の攻撃の芽を積む、回収する、「掃除」というワードはここから来ています。試合会場でもそんなプレーに注目して欲しいです。毎試合全力で頑張ります。