コラム

[PLAYER’S STORY] 島田 拓海 Takumi Shimada

J3昇格を目指し、奈良の地で戦う27人の選手たち。
「何故、サッカーなのか」「何故、奈良なのか」選手それぞれの“物語”に迫る。
(ホームゲーム週に更新予定)

#26 島田 拓海

相手ゴールから得点を盗む存在に。
そんな奈良クラブ創設者矢部の意思を継ぐ男、
数少ない奈良出身の島田が奈良クラブにかける想いとは。

野球が好きだった幼少期
サッカーを始めたきっかけは父がサッカー好きだったことが影響でした。でも実は野球が好きな少年で(笑)。いとこと遊ぶときはいつも野球でした。でも野球もサッカーも両方はできないと思った時に、周りの友達の影響でサッカーに決めたんです。そう思ってからはすんなりサッカーにのめり込みましたね。
それからはサッカーが好きになって、自主練習でリフティングを毎日やるようになりました。気がついたら1万回以上出来るようになって。奈良県大会や市大会のリフティング大会でチャンピオンになりました(笑)。

生まれの地、生駒で始める
小学校はパルティーダ生駒FCに所属。ポジションはなんとボランチ。意外ってよく言われます(笑)。県大会に行くことが目標のようなあんまり強いチームではなかったんです。でもその中で先発で出れるようになったり、奈良県選抜に選ばれるようになってから、「もっと上手くなりたい」と思うようになり、好きになりました。

更なる進化を遂げた中学時代
中学は奈良YMCAに所属。監督がそれはもう怖かったですね(笑)。でもオンとオフがしっかりしていたので良い先生だったと思っています。当時の僕は背も身長も小さく、よく怪我をしていたんですよ。それでも信じて使い続けてくれたんです。そのおかげで成長できたと思っています。

 

選手権で憧れを抱き入学
ㅤ中学3年の時の選手権をテレビで見ていて、奈良県代表として奈良育英高校が出ていました。他の高校と迷っていたんですけど、選手権を見て奈良育英高校でやりたいなって思って。周りと比べて遅めながらも入学を決めました。

初日の練習ができずに帰宅
ㅤ高校時代と言われて、真っ先に思い出すのは先生です。今まで出会った人の中で一番怖かったですね(笑)。入学して初めての練習で帰らされたんですよ。挨拶が出来ていない、声が出ていないからって。試合に出ている出ていない関係なく、生活面も厳しかったですね。どこで会うか分からないので終始恐れていました(笑)。

初めて味わった挫折。サッカーを辞めることを決意。
ㅤでも理解もある先生で。当時自分のことを上手いと勘違いしていた僕は、選手権常連の高校相手に練習試合をしたらそれはもう全然通用しなくって。初めて自分が勘違いしていると気づきました。それまではプロに行きたいと思っていたのですが、周りにうまい人はいっぱいいると知って、挫折を味わいましたね。もう大学でサッカーはやらなくて良いと思ったんです。大学も自分で勉強して入ると先生に伝えて。あの時サッカーだけではなく、勉強も応援してくれた先生には感謝しています。

 

一般入部から得点王へ
ㅤ大学に入学して、やっぱりサッカーがしたくなってしまったんですよ(笑)。指定校でサッカー部へ入部。なので最初は一般生、Cチームからのスタートで。正直セレクションで入部している同期よりサッカーができている自信があったので、だからこそ逆に悔しかったです。すぐにでも抜こうと思いましたね。

奈良出身としての想い
ㅤFWっていうポジションは評価が分かりやすいと思うんです。でも進路を決めるときは悩みました。自分の中で、どこに行ったら成功するか分からないじゃないですか。でも奈良県出身が活躍するとチームを盛り上げることができるし、自分の成長にも繋がると思ったので奈良クラブを選びました。一年目として、がむしゃらに、強引さを出してプレーしていきたいです。

生駒のルパン三世
ㅤルパンって、いろんなものを盗む印象がありますよね。そこからゴールを盗もうということで取りました。加藤くん曰く、見た目も少し似ている、らしいです(笑)。リーグ戦ではまだ得点ができていないので、リーグ戦で結果を残せるように頑張ります。