コラム

[PLAYER’S STORY] 布施 周士  Shuto Fuse

J3昇格を目指し、奈良の地で戦う27人の選手たち。
「何故、サッカーなのか」「何故、奈良なのか」選手それぞれの“物語”に迫る。
(ホームゲーム週に更新予定)

#28 布施 周士
どんな環境にいてもサッカーを辞めたいとは思わなかった。
普段は“のらりくらり”な布施に隠された戦略的なサッカー人生に迫る。

始まりはニューヨーク
ㅤ始めたきっかけはサッカーをしていた兄の影響でした。あんまり知られていませんが、僕、ニューヨーク出身なんですよ(笑)。幼稚園の頃からニューヨークでサッカーを始めたんですけど、残念なことにあんまり記憶になくて。小学生になって日本に来て、それから東京ヴェルディのサッカースクールに通いました。

1%程度の確率でユースに昇格
ㅤ中学校、高校もそのままヴェルディに所属しました。ヴェルディはいろんなところにジュニアユースがあったんですけど、その中でユースに上がれたのは僕だけで。僕が所属していたジュニアユースがそれくらい強かったんだと思います。

辞めようかと葛藤する毎日
ㅤヴェルディユースはやっぱりレベルが違いましたね。レベルが高すぎて入って3日で辞めようと思ったくらいです(笑)。田舎から東京に出てきて、まず生活の環境も違うし、雰囲気も違うし、上手い人は偉い世の中で。あと何日通ったらユースが終わる、とカウントダウンする毎日でしたね。
ㅤもう練習に行くまでがそれはそれは憂鬱で。コンビニに寄っては時間を潰し、また違うコンビニに寄っては時間を潰して、毎日毎日練習に行く決心がつきませんでした。でも行ってしまえば楽しいんですけどね。練習が終わった時はそれはそれは幸せでした。メンタル面が鍛えられたユース時代でした。

それでもサッカーが好きだから
ㅤそれでもサッカーを辞めなかったのは、それほどサッカーが好きだったんだと思います。サッカー自体は嫌いではなかったんです。辛いと思っていても常に向上心は持っていたと思いますし、それは今でも変わりませんね。

乗り越えたからこそ見えた景色
ㅤ大学は関西大学に進学。関大で試合に出れなかったら、もうサッカーは諦めようと思っていました。でも開幕から試合に出させてもらって。ユースでは試合に出れなかったのに、一回生が終わる頃には選抜にも呼んでもらえて。ちょっと勘違いしちゃうくらいでした(笑)。関大のメンバーが本当に良かったので、楽しく乗り切れました。

ボランチというポジション
ㅤポジションはずっと中盤。とにかくボールが触りたいと思っていて、気がついたらずっとボランチでしたね。僕は味方の良いところを見つけて褒めるような声かけを意識しています。試合中なのでマイナスな声をかけられるのは自分も嫌なんですよね。自分がされて嬉しいことをする。これは日頃から子どもたちにも伝えていることで、サッカーにも活きています。

“教える”サッカーと“する”サッカー
ㅤ僕は今、奈良クラブのスクールコーチをしています。コーチになって思ったのは、サッカーを“教える”のと、サッカーを“する”のは違うということ。子ども達に上手く教えようと思ったら、自分がどうやってキックしているかを考えるようになりました。最初子どもは苦手でしたが、今は可愛く思えます。

戦術的のらりくらり
ㅤのらりくらりって聞いて思い浮かぶのって、ゆっくり、ふらふら、とかだと思うんですよ。僕はそのイメージをサッカーに例えて、ボランチとしてピッチ内のいろんなところに顔を出すというイメージで付けました。足が遅いってことではないですからね(笑)。

支えてくださる方に感謝の気持ちを忘れず
ㅤ今年で奈良クラブ3年目となります。ピッチ外でもサッカー選手としての振る舞いが求めらるようになって、チームは良い方向に向かっていると思います。
試合に出た時のことを考えて、試合に出た時のことを考えて行動しているので、良い準備は出来ていると思っています。チームを支えてくださる方がいるって当たり前じゃないと思うんですよ。支えてくださる方に感謝して、今年はまだリーグ戦に出れていませんがチームの力になれるよう、頑張ります。