コラム

[PLAYER’S STORY] 有薗 真吾 Shingo Arizono

J3昇格を目指し、奈良の地で戦う27人の選手たち。
「何故、サッカーなのか」「何故、奈良なのか」選手それぞれの“物語”に迫る。
(ホームゲーム週に更新予定)

#32 有薗 真吾
新加入ながら副キャプテンを任された有薗。
アマチュアからプロまで経験してきた
チーム最年長は何を語るのか————

年上にも怯まないサッカー少年

ㅤサッカーを始めたきっかけは、兄の影響でした。僕が幼稚園のとき、兄がサッカーを始めて僕も始めました。小学校4年生からしか少年団に入れなかったんですけど、兄について行っていて2年生から入団しました。サッカーがない日でもサッカーをするのが当たり前な、いわゆるサッカー少年でした。毎日サッカーばっかりで。でも嫌になることはなかったです。あと、当時はECCジュニアも習っていましたね。今は全く話せないですけれど(笑)。

初めての挫折
ㅤそれまで比較的恵まれていてずっと試合に出られていたのですが、中学2年生の時、初めて試合に出られなくなって。悔しくて悔しくて。周りと同じ練習をしていては試合に出られないと思って、練習を増やすようになりました。中学3年でまた試合に出られるようになった時は嬉しかったです。

希望の高校に入学するも待ち受けていたのは

ㅤ高校は鹿児島城西高校へ入学。当時は鹿児島県内でサッカーが強いと言えば鹿児島実業高校か、鹿児島城西高校かの二択でした。鹿児島城西高校でサッカーがしたくて入学したものの、本当に練習が厳しかったですね。毎日練習前に1500mと3000m走があって設定タイムを切れないと練習後に再走。タイムを切るために毎日毎日必死に走っていましたね。
全国まであと一歩届かず< 高校3年生のシーズンが特に思い出に残っています。鹿児島県予選、インターハイ、新人戦、全て鹿児島実業に負けて、、、。新人戦はPK、選手権は0-1。鹿児島実業が全国でベスト4になった時は、自分達が全国に行っていたらどうなっていたんだろう、と考えてしまいました。 サッカーをしない選択肢はなかった
ㅤサッカーを始めた頃から、将来の夢はプロサッカー選手でした。でも、高校時代やと大学時代にプロと練習試合をすることがあって、そこでレベルの差を痛いほど痛感して。プロになるのはもう無理だろうと思いました。大学4年で怪我をしてしまってセレクションも受けられない状況で。一時は企業チームでサッカーをすることも考えました。そんな時にザスパ草津に声をかけていただいて。正直、九州から出たくはなかったんですよ。友達もいっぱいいますし、僕人見知りなので(笑)。それでもサッカーをしない選択肢はありませんでした。

今の環境に感謝

ㅤ草津に入団できたものの、アマチュアからだったので、もちろん仕事しながらサッカーをする生活で。僕は温泉施設で働いていたんですけど、やっぱり観光地なので結構忙しいんですよね。午前中仕事をして、午後サッカーをして、夜も仕事をして、、、。その頃を考えると、今サッカーで生活ができているということが、どれだけありがたいのかを痛感しますし、その経験が今の自分を奮い立たせています。サッカーに集中できている分、頑張らないとですね。

この“奈良クラブ”で再びJへ
ㅤ奈良クラブは、今までのサッカークラブにないことをしようとしている、行動力があるクラブだと感じています。このチームだからJリーグに上がれると思って奈良クラブに来ました。草津時代にトップチームに昇格した時と同じ背番号「32」を背負い、このクラブの昇格のために戦います。共に昇格を目指しましょう。これからも応援よろしくお願いします。