コラム

[PLAYER’S STORY] 村瀬 勇太 Yuta Murase

J3昇格を目指し、奈良の地で戦う26人の選手たち。
「何故、サッカーなのか」「何故、奈良なのか」選手それぞれの“物語”に迫る。
(ホームゲーム週に2人ずつ更新予定)

#14 村瀬 勇太

高校時代に日本一を経験
それから突きつけられたプロ世界の現実
泰然と語る村瀬のストーリー。

 

始める前から夢はプロサッカー選手

ㅤサッカーを始めたのは、幼稚園の年長でした。幼稚園でサッカースクールが開かれていたことがきっかけです。他の競技には全く興味がなく、なぜかサッカー一択でした。サッカーを始める前から、将来の夢はプロサッカー選手と言っていたくらいです(笑)

生粋のサッカー少年時代
ㅤ小学校は地元のクラブチームに所属していました。ずーっとボールを触っている子どもでした。毎日練習があるわけではなかったのですが、練習がなくても遊びながらサッカーをするような、生粋のサッカー少年でしたね。
ㅤ奈良クラブの堀田、実は小学校のチームが同じだったんですよ。その時も堀田は真面目でしたね。堀田が奈良クラブに来ると知った時は驚きました。U-19の遠征以来、3度目の同じチームです(笑)。同い年として、刺激を受けています。

日本一を二度経験
ㅤ高校は流通経済大学付属柏高校に入学しました。今思い返すと高校時代が一番楽しかったです。高3の時には、高円宮杯優勝、インターハイ3位、選手権優勝。勝っている印象しかなかったです。練習は厳しかったんですけど、その分充実していましたね。
ㅤ大学はそのまま流通経済大学へと進学。流経大の良いところは、部員が多い分、チームも多いので公式戦に出れることで。僕は1年の時からJFLに出場していたので、試合に出れる環境があるというのはありがたかったです。当時のJFLは今よりも認知度が低く、サポーターもそんなにいなかったので、今はだいぶ認知度も上がって盛り上がってきたように感じています。

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プロ世界に入るも出場機会に恵まれず

ㅤプロとしての初めてのチームは松本山雅FCです。松本時代は苦労しましたね。高校と大学で試合に出ることができていて、松本では一気に試合に出られなくなってしまって。プロの世界の厳しさを体感しました。出場機会はありませんでした。

試合に出ることがスタート地点
ㅤそれから一年で藤枝MYFCに移籍して、試合に出られるようになって嬉しかったです。やっぱり選手って試合に出ることで成長すると思うんですよ。試合に出ることで自分の課題を見つけやすくなりますし、楽しいと感じられます。試合に出なければ始まらないと思います。

影響を与えた人
ㅤラインメール青森で一緒に戦っていた河端和哉さんが僕のサッカー人生において影響を与えてくれた人です。河端さんは長崎や北九州、FC琉球などで活躍された選手です。言葉でも行動でもチームを引っ張るリーダー的存在だったので良い影響を与えてくれていました。例えば練習とかでも一番先に来て、一番最後に帰るなど。サッカー選手としてここまでやるべきだ、と示してくれました。

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6月7日(金)掲載分

泰然のレジスタ

ㅤ今チームは思うような結果が出ていないですが、それでもブレずにやることが必要だと思っています。僕はあんまり“試合だから”と変えないようにしているんです。いつも練習でやっていることが試合にも現れると思うんです。泰然は物事に動じない姿、落ち着いているという意味で、ここから来ています。
ㅤ「レジスタ」っていう言葉は本来コンピュータの回路のことなのですが、サッカー用語ではゲームメイカーという意味もあります。

見て欲しいプレー
ㅤ僕は目立つようなプレーをする選手ではありません。得意なのはゴールに結びつくパスを出すところ。ゲームをメイクするパスやアシストを見て欲しいです。

村瀬がもう一度目指す舞台
ㅤJリーグチームには所属していましたが、先ほども述べたように出場記録がないので、Jリーグに戻って試合に出たいです。そのためにも今シーズンJ3昇格を何としてでも達成したいです。応援よろしくお願いします。