コラム

[PLAYER’S STORY] 遠藤 敬佑 Endo Keisuke

J3昇格を目指し、奈良の地で戦う27人の選手たち。
「何故、サッカーなのか」「何故、奈良なのか」選手それぞれの“物語”に迫る。
(ホームゲーム週に更新予定)

#18 遠藤 敬佑
サッカーが嫌いだった遠藤をプロ選手になるまで導いた存在とは。
奈良クラブに移籍時の心境、初ゴール時の想いに迫る。

サッカーよりも草むしり

ㅤ始めたのは2つ上の兄の影響でした。兄がサッカーをしていて付いて行っていて。僕も一応同じチームに入りましたがサッカーが好きだった訳ではないので、ずっと草むしりをしているような子どもでした。草むしりに夢中になりすぎて、GKコーチの目の前に入っちゃって、顔にボールが当たって歯が飛んで行っちゃって(笑)。それからもっと嫌いになりましたね(笑)。当時は人見知りだったこともあり、進んで練習をするような子どもではありませんでした。

人生を変えた選択をした理由は“人見知り”
ㅤ小学校の時のチームが小さかったので、他のチームに助っ人として試合に出ていたんですが、4年生の時にジェフユナイテッッド市原・千葉のスクールに誘われたんです。人見知りの僕は、また環境が変わるのも嫌だなーと思いながらも、もう転々としなくて良いという思いもあり、ジェフに入りました。あの時のこの決断がなければプロサッカー選手にはなっていなかったかもしれませんね。

サッカーを好きにさせた存在
ㅤジェフのスクールで練習をするうちに、サッカーが中心の生活になり、いつしか毎週試合も観戦に行くようになりました。親が好きだったジェフの中西永輔元選手に憧れて同じポジションも目指すようになって。気がついたら嫌いだったサッカーが日常になっていました。

一時は内定取り消しに

ㅤジェフのスクールからジュニアユースに昇格するのにもセレクションがあって。セレクションに合格していたのですが、小学校6年生の最後の大会で問題が起きて、連帯責任を取ることになってしまったんです。案の定ジュニアユースの内定も取り消しに。焦りましたね。でも再チャンスをもらえて無事に再度合格できて良かったです。

サイドバックで声がかかる
ㅤ高校は千葉県内のどことやっても負ける気はしなかったのですが、同じ県内の強豪校は歩くだけできゃーきゃー言われて(笑)。それが悔しかったですね(笑)。僕はサイドバックが好きだったんですけど、ジェフのユースからははFWとして声がかかっていて。市船ではサイドバックで声をかけてもらっていたので、後悔している訳ではないですが、あのままサイドバックを続けていたら今はどうなっていたんだろうと思いますよ。

遠藤にとって“黄色”の存在
ㅤプロと同じ環境で練習をする中で、プロサッカー選手になりたいと強く思うようになりました。僕にとってジェフとは約10年間身を置いた特別な存在で、サッカーを続けている限りいつか黄色のユニフォームを着てプレーしたいという憧れがあります。いつも胸の内で思っています。

11/6(水)掲載分

サッカーを諦めかけた時期も

ㅤザスパ草津時代にグロインペインを発症してしまって。それまでサッカーができるのが当たり前だったので、正直自分の中でも相当きつかったですね。歩けないくらい痛くて「もうサッカーができないのでは」と思いました。離脱して半年近く経っても治らなくて、「自分は何やっているんだろう」と思っていました。心は折れかけていましたが、チーム内に同じ時期に同じ怪我をしている人がいて。その人がリハビリしている姿を見て、僕も頑張らないと、と思って乗り切ることが出来ました。

Honda FC戦での移籍後初ゴールを振り返って
ㅤ奈良県内にJクラブを作っていく過程に携わりたいと思っています。サポートいただいていることに対して、僕たちはパフォーマンスで返すしかないと思っています。奈良クラブを昇格させるために移籍をして来て、結果としてなかなか出せていないのがもどかしかった中でのHonda FC戦での初ゴールでした。嬉しい反面、今は悔しい気持ちが大きいです。もっと自分に出来ることはあると思っています。信頼される一つの指標だと思っている“ゴール”にこだわって、少しでも増やせるようにやり抜きたいと思います。試合を見に来てくださった方に、成長した部分を見せて、応援したいと思えるようなプレーをしますので、応援よろしくお願いします。