コラム

[PLAYER’S STORY] 藤井 貴之 Takayuki Fujii

J3昇格を目指し、奈良の地で戦う25人の選手たち。
「何故、サッカーなのか」「何故、奈良なのか」選手それぞれの“物語”に迫る。
(ホームゲーム週に更新予定)

#19 藤井 貴之

憧れを抱きユースへ入団するも味わった挫折。
挫折を乗り越え日本一を経験し
その名を轟かせた藤井のストーリー。

藤井のドリブルの原点

幼稚園の頃、仲の良い友達がサッカーをしていたことがサッカーを始めたきっかけでした。自分も始めてみたいと思い、幼稚園のサッカークラブに。そのまま小学校6年生まで所属しました。
とにかくずっとドリブルをさせられるチームでした。シュート禁止とか、GKを抜いてからゴールしようとか、自分がボールを取られたら自分で取り返そうとか、とことん鍛えさせられましたね。今、試合でドリブルで相手をかわせるのはこの頃の経験がいきています。

ユースに憧れを抱いた中学時代
ㅤ中学校は町のクラブへ。教え方が小学校と同じだったので、小学校で教わったことをさらに質を高めるような練習でした。でもやっぱりガンバ大阪とセレッソ大阪が近くにあるので本当は行きたかったです。人工芝のピッチ、Jリーグのボールが使えて、トップチーム選手との距離が近い、、、。憧れないわけないですよね(笑)。

サッカーを辞めようと思った高校1年
ㅤその憧れの気持ちをずっと持っていて、高校はサンフレッチェ広島ユースへ加入。将来はサッカー選手になることを意識していたので、ユースからトップへ昇格することが一番の近道だと思って選びました。でも現実世界はそう甘くはなくて。小学校から中学校までずっと試合に出ていて、試合に出れるのが当たり前な環境だったんですよね。それが全く試合に出れなくなって…。本気でサッカーを辞めたくなりました。

座右の銘「気持ちには引力がある」
ㅤ当時の監督の言葉で今でも僕の座右の銘になっているのが「気持ちには引力がある」という言葉です。物事は強い気持ちの方に転がっていく、という意味です。サッカーに例えると、こぼれ球が自分のところに転がってこいと思ったら本当に転がってくる、というイメージですね。技術がある人が試合に出れるわけではない、サッカー云々よりも気持ちが大事ということを学んだユース生活でした。

挫折を乗り越えられたのは

ㅤ実家から離れている僕にとって、全寮制というのは大きなポイントでした。毎日同じ屋根の下で、同じご飯を3年間。もはや家族ですよね。監督も寮長も同期も、みんな家族みたいな存在で。この「家族」のような仲間がいたから辛い時も乗り越えられました。3年生の時に高円宮杯にスタメンで出て優勝できたときは本当に嬉しかったです。

ポジションに関わらず使命を果たすこと
ㅤ大学は関西に戻ろうと思っていたんです。でも一番早く声をかけてくれたのが日体大で、当時の監督の元でやりたいと思い、進学をしました。実はFWというポジションが確立したのは大学からなんですよ。それまではサイドハーフやサイドバックなど、一通りやっていたんです。どのポジションがいちばん楽しいですか?ってよく聞かれるんですけど、僕の中ではどこも同じで。それぞれのポジションに与えられた役割を果たすことが使命だと思っています。これは自分の一種の武器だと思いますね。

関東2部リーグ優勝の立役者
ㅤ大学時代で印象に残っているのは、大学4年のリーグ戦です。前期を全勝で折り返し、後期も残り3試合を残して優勝を決めました。こんなに負けない期間は初めてでしたね。一戦一戦本気で戦って試合を重ねる中でしたが、正直勝つ気がしてならなかったです(笑)。

7月3日(水)掲載分

昨シーズンはチーム最多得点

ㅤ今は奈良クラブにレンタル移籍中なのですが、去年とは異なり、今年はサッカーだけではない、人間性が求められていると感じています。昨年はチーム最多得点を挙げることができましたが、今年はサッカー以外の面も磨いていかなければいけないと思っています。

残りのリーグ戦
ㅤリーグ戦もあっという間に残り半分くらいとなりました。苦しい現状ですが、あとは登るだけだと思っています。チャレンジャー精神のチームが勝つと思うんですよ。奈良クラブが失うものは何もないと思っています。僕は難しいボールこそ何とかして決めようというタイプなので、ぜひそこも注目してみてください。応援よろしくお願いします。

 

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