コラム

[PLAYER’S STORY] 大津 耀誠 Yosei Otsu

J3昇格を目指し、奈良の地で戦う26人の選手たち。
「何故、サッカーなのか」「何故、奈良なのか」選手それぞれの“物語”に迫る。
(ホームゲーム週に2人ずつ更新予定)

#13 大津 耀誠
幾度となる壁に当たった幼少期。
そこからプロで初ゴールを決めるまで。
未だ”未完”と呼ばれる大津のストーリー。

 

15/1600で合格

ㅤ小学校二年生の頃、仲の良い友達がサッカーをやっていたことが始まりでした。僕が所属していた少年団は地区予選一回戦で負けるくらい弱小だったんです。一応個人では地区の選抜には入っていたのですが、それでも全然強くなかったんです。そんな僕が中学ではセレッソ大阪のジュニアユースに入団しました。なぜかって、それは母が勝手にセレクションに応募していたからです(笑)。1600人くらいが受けていたので、まさか自分が合格するとは思っていませんでした。

“サッカー”を教わったジュニアユース時代
ㅤジュニアユースに合格したものの、これまでの環境と違うところが多々あって、始めの頃は戸惑いばかりでした。周りの選手は大阪府で一番強い小学校から集まってきていたので、僕のようないわゆる”外部”からきた人間が受け入れられるのには時間がかかりましたね。まず、毎日の練習メニューが一貫されていて決まっていることにも驚きましたし、細かいことで言えば、パスコンでボールを受けるまでの動きなど、きちんとサッカーを教わったのはこれが初めてだと思います。練習はしんどかったですけど、その分新鮮でした。「これが大阪で一番のクラブチームか」と感じていましたね。

大津の基盤となった恩師
ㅤセレッソ大阪の下部組織はどれも走り込みがすごくて。僕はそれが嫌で辛いフリをしたりしていたのですが、それも全部見透かされていて。メンタル面から全部叩き直されましたね。今こうやってサッカーができているのも当時の清水監督のおかげですし、ユースに上がれたのも清水監督のおかげ。清水監督でなかったら、高校サッカーに進み、ただのサッカー選手で終わっていたと思います。清水監督が僕の恩師です。

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高校サッカーか、ユース揺れたユース生活

ㅤ高校は先ほど話した通り、そのままセレッソ大阪のユースへ入団したのですが、正直上がりたくない気持ちもあったのは今だから言えることです。ユースの練習がキツこいとや監督が厳しいことはジュニアユース時代から知っていたからです。僕、できれば走りたくない性格だったんですよ(笑)。セレッソ大阪の下部組織である以上、走っていましたが、もうジュニアユースで十分、高校サッカーを経験したいと思っていました。
ㅤでもユースに上がれない人もいる中で、上がれるのであればユースの方が良いといろんな方に言われ、ユースに上がることを決めました。入ってみて、やっぱりユースは走りの強度が全然違ってきつかったです(笑)。でもそんな環境だったからこそ、人間としても凄く成長できたので、やっぱりユースに上がって良かったと思っています。

山形戦での2得点、3年前のデジャヴ
ㅤそれからプロになったのですが、特に印象に残っている試合が二試合あって。一つはプロ一年目ザスパ草津時代の山形戦です。0-1で負けていて80分で投入されたのですが、90+4分で点を取って引き分けに。プロになってから取るゴールはまた違った気持ちで嬉しかったです。
もう一つは大分トリニータ時代、89分に失点して、90分で投入。その1分後に点を取りました。これも山形戦だったんですよ。“3年前のデジャヴ”と言われました(笑)。

初めての離脱
ㅤ実はそのゴールを決める前に、第五中足骨を骨折して、初めての手術、初めてサッカーができない期間がありました。サッカーが出来ないことがこんなにも辛いとは思いませんでした。復帰後初の試合で点を取れたので、嬉しかったです。

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試合前日はチョコ

ㅤプロ2年目くらいまではルーティーンを作っていたのですが、もし崩れた時にルーティーンのせいにしたくなかったので、作るのをやめたんです。強いて言うのであれば、毎日のストレッチと試合前日はチョコレートを食べること。GABAのストレスを低減するチョコを食べています(笑)。

夏の移籍での苦悩
ㅤ去年の夏に奈良クラブへ加入したのですが、実は2回目のオファーだったんです。相模原SC時代に奈良クラブと戦っていて、奈良クラブの繋ぐサッカーが良いなーと思ったので、移籍を決めました。
ㅤ僕自身、夏の移籍が初めての経験で、シーズン頭の移籍とは違い、即戦力が求められていたように感じます。チームにも、戦術にも、すぐ馴染なじまなければいけなかったので難しかったです。でも自分のできることを精一杯やろうと思いました。あっという間にそれからもうすぐ一年になります。

先日の天理大学戦でのゴールを振り返って
ㅤ天皇杯の県予選では、試合に出たら絶対点を取ろうと思っていたので、決められて良かったです。僕のタグラインにもある「タイガーショット」。未完で終わらせないためにも、リーグ戦では試合に出たら点を取ります。ぜひ応援よろしくお願いします。