コラム

[PLAYER’S STORY] 金久保 彩 Kanakubo Sai

J3昇格を目指し、奈良の地で戦う27人の選手たち。
「何故、サッカーなのか」「何故、奈良なのか」選手それぞれの“物語”に迫る。
(ホームゲーム週に更新予定)

#40 金久保 彩
目指すものは“プロサッカー選手”
幼い頃から叶うと信じて進み続けた
チームに彩を添える金久保彩の素顔に迫る

きっかけは年が離れた兄の影響

ㅤサッカーを始めたのは、6個上と9個上の兄の影響でした。兄の試合や練習に付いて行って、兄のチームメイトに遊んでもらっているうちにサッカーが楽しくて楽しくて始めるきっかけになりました。その頃から、サッカーはめちゃくちゃ好きだった記憶があります。

負けず嫌いを発揮した人生初PK
ㅤチームに入って始めたのが、小学校2年生だったのですが、小学校3年生の時に6年生の試合に出て、PKをもらって、自分で蹴りました(笑)。6年生を差し置いて、ボールをセットして、腕を組んで(笑)。でも負けず嫌いな僕は多分勝ちたいことしか考えてなくて、自分で蹴っちゃったんでしょうね。これが人生初PKです。決めることができたので良かったですが当時の監督には今でもこの話をされます(笑)。

プロになるための逆算
ㅤ中学校はクラブチームに行こうか迷ったのですが、幼稚園からずっと一緒にやってきた憧れの先輩とサッカーをしたいという想いもあり、中学校のサッカー部に入部しました。そのあと高校に進み、さらにプロになりたい気持ちが強くなって。当時、駒澤大学は大学サッカー日本一で、自分も日本一になりたい想いと、日本一の大学で活躍すればプロへの近道になると思い、駒澤大学へ入学したいと思いながら練習をしていました。

選んだ道を正しかったと思えるように努力を重ねた

ㅤ大学ではタイミングよく1年生の時にAチームに入れて。3.4年生の時は試合に出ることができました。それを見ていてくれた地元水戸ホーリーホックからオファーがあった時、中学の頃から駒澤大学に行ってプロになると信じ、ぶれずに練習してきたのが報われたと思えました。あの時の決断は間違えてなかったと証明できた気がします。

プロ生活の始まりは苦難の連続
ㅤでも水戸に入ってすぐ震災が起きて、自分もグロインペインを発症して。やっとプロになれたにも関わらず1年くらい棒に振りました。これまでそんなに長い期間試合に絡めないことがなかったのでね。でもその時の悔しい想いがあったからこそ、V・ファーレン長崎で試合に出れた時は嬉しかったです。

奈良クラブの印象はサポーターの熱さ
ㅤ僕がヴァンラーレ八戸にいた2017年に奈良クラブと試合をしていたのですが、奈良クラブはサポーターがたくさんいて、熱いクラブだなーと思っていました。選手一人一人の技術も高いですし、水戸で一緒にやっていた遠藤敬佑とか、AC長野パルセイロ時代に一緒だった都並優太、菅野哲也、向慎一、山田晃平などもいたのですぐに馴染めましたね。

10月23日掲載分

いつしか“ベテラン”の域に

ㅤそんな僕も30歳になって、チームから求められることが少しずつ変わってきたように感じています。特に奈良クラブは若い選手が多いですし、僕はポジション的にも、これまで自分が経験したことを活かして他の選手を動かしたり、鼓舞したりするようになりました。

スタジアムで感じて欲しい僕の気持ち
ㅤ僕のプレーの特徴は、気持ちを前面に出すプレーです。試合に出る時は、出れない人の分も戦わないといけないと思っています。僕の思い切ったプレー、突っ走るプレー、切り込んでいくプレー、、、。そんなプレーを通して僕の気持ちを伝えるので、ぜひスタジアムに来て感じてください。