J3昇格を目指し、奈良の地で戦う27人の選手たち。
「何故、サッカーなのか」「何故、奈良なのか」選手それぞれの“物語”に迫る。
(ホームゲーム週に更新予定)
#42 宇都木 峻
大卒で新加入ながら
今季クラブ初得点を挙げた期待の新人
宇都木が語る物語とはー。
気がついたらボールを蹴っていた
ㅤきっかけは、8個上の兄がサッカーをしていたことでした。あるあるですよね(笑)。よく試合も見に行って、近くの学校でサッカーをしているうちに自分も始めるように。遊びでサッカーをしたり、学童でボールを蹴ったりはしていましたが、ちゃんと習い始めたのは小学校2年生の頃でした。
“サッカー選手”を意識し出したきっかけ
ㅤ小学校の頃、キャプテンをやりたくて、やらせてもらえて嬉しかったことは覚えています。特に引っ張る性格ではなかったんですけどね。かっこよく言えば背中で語りたいなと。
ㅤ地域の選抜にも入るようになって、レベルが高い中で練習をしていくうちに、“サッカー選手”という存在を意識し始めました。当時の僕は、中村俊輔選手がすごく好きで。「しゅん」という名前もかぶっているし、左利きですしね。一層夢への想いを強くしてくれたと思います。
初めてのタイトル
ㅤ中学校は2年生くらいから上の代の試合に出れるようになって。その年は新人戦で茨城県優勝もできたんです。中学校の部活に入ろうか、クラブチームに入ろうか迷っていたのもあって優勝できたときは嬉しかったです。
憧れの選手権出場には届かず
ㅤ高校は栃木県の佐野日大高校に進学しました。サッカー部は1学年60人。その中で大半の人が推薦で。最初は土台にすら立てませんでした。高校3年からようやく試合に絡めるようになって。でもインターハイも選手権も全て矢板中央高校に負けてしまったんですよね。選手権に出られなかったら大学に行こうと思っていたので、成長を求めて関西1部の関西学院大学に進学を決めました。
思考は現実化する
ㅤサッカー部に入部できたものの高校と同じく下からのスタートで。それでも気持ちが折れることなく毎日取り組めたのは、高校の時も同じような状況から試合に出られるようになった経験をしていたことが大きかったと思います。
ㅤ僕の父が熱い人なんですよね。父に勧められて「思考は現実化する」という本を読んでいたんですけど、人は思い描いたようになるという内容でした。Aチームに上がりたいのであればずっと思い描いて練習をして、常に努力を惜しまなければきっと叶えられると信じていました。
“人づくりの佐野日大”時代の恩師
ㅤ特にお世話になったのは高校でBチームにいた時のコーチですね。Bチームにいる時間が長くて自分としてももどかしい時期が続いて。そのコーチは人間性も指導してくれてBチームでキャプテンも任せてくれて。きっとあの時の僕に必要なことだと思って考えてくれたんでしょうね。今も連絡を取っているくらい感謝しています。
10月26日掲載分
奈良クラブでできること
ㅤ自分は奈良クラブの中で若い方なので、フレッシュさを出していきたいと思っています。ベテランの方もいる中で、「俺らも頑張ろう」と思ってもらえるようなプレーや声出しをしていきたいです。結局やるのは自分。姿を見せ続けるしかないと思っています。
75億分の1レフティー
ㅤ全世界の人口が75億人と知って。タグラインを考えるときに左利きというのは強調したいと思ったんですよね。少し大げさですけど、全世界の中で唯一無二な左足になるという願いも込めてつけました。ぜひ試合では僕の左足を見てください。